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門松を飾る時期「松の内」。門松の不思議を探ってみよう!意外と知らない面白い話や各地の珍しい門松もご紹介。

 

2020年が始まりました!

 

今年のお正月は、特に日本では令和初のお正月でもあり、いつもよりお祝いの雰囲気に包まれていたように思います。
三が日も過ぎていつまでも正月気分でいられないのは重々承知ですが、街を歩いていて門松が飾られているのを見かけると、何となく「いつもと違う」感じがして気持ちが浮き足立ってしまいます。

駅の門松も通るたびつい目がいってしまいます。

 

門松といえば、昔から日本のお正月の象徴でもあります。

門松を飾っている期間のことを「松の内」と呼び、関東では元旦から1月7日、関西では1月15日までになります。
(ちなみに門松は12月13日の正月事始め以降から飾っても大丈夫ですが、近年ではクリスマスが一般化しているのでクリスマスが過ぎてから門松を飾ることが多いです。年内は松の内にはカウントしません。)

 

関東と関西で松の内の期間が違うのはなぜ?

これには諸説ありますが、もともとの松の内の期間は1月15日の「小正月」までと定められていて、1月15日に門松や松飾りを片付け、1月20日に鏡開きをするのが慣しでした。
ところが江戸幕府の三代将軍である徳川家光が慶安4年4月20日に逝去したため、20日は家光公の月命日となりました。
月命日である20日に鏡開きをするわけにはいかない、ということで鏡開きを1月11日に早めることにして、それに伴い松の内も7日までに繰り上げられたと言われています。
他にも江戸の町は火事が多かったため、燃えやすいものは早めにしまうようになったという説もあるとか。

どちらにしても将軍の息がかかっていない(物理的に遠い、大名がいない)ところほど、古来の風習が残っているようです。

 

門松のルーツ「小松引き」

(歌川豊広「小松引図」)

 

現代の年中行事の多くが平安時代の宮廷儀式から始まったように、門松のルーツも平安時代の「小松引き」と考えることができます。
「小松引き」とは、正月初めの子の日に、貴族たちが郊外に出かけて小さな松の木を根っこごと引き抜いてくるという遊びのこと。
この「子の日の松」を長寿祈願のため愛好する習慣があり、それが現在の正月飾りにつながっていきます。
現在でも関西地方の家の玄関の両側に「根引き松」が飾られるのはその名残でしょう。

 

 

ちなみにいろいろ調べてみると、子の日には小松引きの他にも若菜を摘んで持ち帰ることもあり(若菜摘み)、これを食したり和歌を詠んで宴をしたという記述もあり、総じて「子の日遊び」というそうです。

この若菜は現代の七草粥につながるので、小松引きと若葉摘みは別の子の日にやったということなのか、それとも平安時代にはまだ門松=お正月という位置づけではなかったのか、そもそもなぜ子の日にやるのか、いまいちわかりませんでした。。
子の日小遊びは正月始めの子の日とあるので、江戸時代になると新春(年明け)ではなく、正月事始め(12月13日)から年末にかけての子の日に門松用の松を取りに行くようになったのではないかと個人的には思います。

 

門松は年神様をお迎えする道標。依り代は門松?鏡餅?

 

年神様とは、新年元旦の初日の出と共に各家に訪れて、幸せをもたらしてくれる神様のこと。

門松はお正月に年神様が天から降りてくる時の目印として立てるものです。
一説には、門松を頼りに降りてきた年神様は鏡餅に宿ると言われます。
なので「門松」を門前に飾ったら、家の中には「鏡餅」を飾ります。
鏡餅は三種の神器を表していて、鏡餅は八咫鏡(やたのかがみ)を形取ったもの、また、鏡餅に飾られる橙と串柿はそれぞれ、三種の神器の他の二つである八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)と天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)に見立てられたものだそうです。

鏡餅もいろいろ。串柿を飾る(供える)のは関西が多いでしょうか。両端に2つずつ、真ん中に6つの干し柿を刺してあります。(いつもニコニコ《2こ2こ》、仲睦《中6つ》まじく)

 

海老は、腰が曲がるまで元気で過ごせますように。ゴージャス!

 

 

門松は依り代、鏡餅はお供え物?
多くのサイトやブログで「門松は年神様の依り代」であると書かれています。
でも考えてみると、その家に幸せをもたらしてくれる神様の依り代を家の外、しかも門前に置くなんて変だと思いませんか。普通なら室内の一番神聖な場所にするのではないでしょうか。
また、鏡餅が依り代ではなく年神様へのお供え物だというなら、依り代の近くにお供えするのが道理でしょう。

どっちがどっち、というのを断定するのは難しい話です。
そもそも鏡餅だって、もとは新年に「歯固め」をして長寿を願うためのもので、「年神様の依り代やお供え物」として生まれたものではありません。
ただ松も鏡餅も「長寿を願う」ものであったことは相違なく、新春という時期が「長寿を願う」のに最適だったということではないでしょうか。

 

個人的には、古来から神様は樹木や岩石など自然のものを依り代にすることと、平安京があった京都や京都に近い地方では「根引き松」を年神様の依り代として飾る慣習が多く残ることから、依り代は鏡餅ではなく松の方なのではないかと思います。

「子の日の小松引き」で持ち帰った松は門前だけでなく家の中の台所、厠、神棚や廊下、物置など至るところにも飾られました。
年神様の依り代となったのは室内に飾られた小松だったのだと思います。
時代が下って江戸時代になると、門松には松だけでなく竹や梅も合わせて飾られるようになり、サイズも大きくなり室内には置けなくなって、数もたくさん用意できなくなったので、門前だけに飾るようになったのではないでしょうか。
そして「門松を門前に飾る」ことが定着して、門松の本来の意味である「年神様の依り代」が取り残されてしまったのかもしれません。

門前には門松を置いて年神様を導いて、家の中には依り代となる小松と鏡餅をお供えするというのが、現代のお正月としてはいい案かと思うのですが、いかがでしょう。

 

現代の門松は「松竹梅」が基本

 

(二条城に飾られる巨大門松。朝日新聞より)

 

門前に松を立てることから「門松」と呼ばれていますが、現代の門松で真っ先に目を引くのは「竹」。
ちょっと不思議だと思いませんか。

初めは松だけだった門松に、竹が飾られるようになったのは江戸時代から。
大名など格式の高い家で行われていたそうです。

現代は様々なアレンジのものもありますが、伝統的な門松は「松・竹・梅」を使って作られています。
冬でも常緑で長寿の象徴でもある松に竹、新春の寒い時期に花を咲かせる梅の組み合わせは、新年を迎えるのに相応しいですね。
他にも「難が転じる」南天や「吉事が重なる」葉牡丹など、縁起の良い語呂合わせがたくさん詰まっています。

詰まっているといえば、門松の竹の形。
門松を見ていると、竹の部分が斜めに切れているものと真っ直ぐになっているものがあります。

 

それぞれ「そぎ」と「寸胴」と呼ばれますが、この違いは何なのでしょうか。

 

これには有名な逸話があります。
門松といえば竹は寸胴の形が始まりでした。
「そぎ」の形が出てきたのは徳川家康公の時代からです。

 

「元亀三年十二月味方ヶ原戦争之図」歌川芳虎

 

1572年12月、「三方ヶ原の戦い」で徳川家康公は生涯で唯一、武田信玄公に大敗します。
戦いのあと、武田信玄公が新年のあいさつとして
松枯れて 竹類なき(たけたぐいなき) あしたかな(当時は松平の姓だった家康に対して、松平家は滅びて武田が栄えるという意味)」
という歌とともに門松を送ってきたそうです。
これに対して、家康公は次は斬るぞという念を込めて竹を斜めに切り落とし、
松枯れで 武田首なき(たけだくびなき) あしたかな(松平は滅びずに、次は武田を滅ぼす、という意味)」
という歌をつけて送り返したのが始まりだそうです。
その後徳川の領地では「そぎ」の門松が一般化し、全国に広まったと言われています。

 

が!

これにも異論があります。

 

門松の竹は寸胴が正式な形。これは節が詰まっていて、お金が詰まる(貯まる、出ていかない)、安定や安泰という意味があるそうです。
「そぎ」はその逆ということで、例えば料亭や花柳界で使われるそうです。商売繁盛や笑顔で暮らすという意味も込められているようです。

東寺の門松。一番下の竹は笑っているように見えるかな?

 

他にも面白い話もあり、将軍家や大名が門松に竹を使うようになったので、町民は竹ではなく笹を使っていたそうです。でも町医者の家では笹を使っていると藪(ヤブ)を連想させてしまうので竹を使っていたのだとか。

 

もっと言ってしまえば地方によって松や竹を切らずにそのまま飾る地域もありますし、私たちが知っている門松とは全然違う門松を飾るところもあります。

 

 

各地の珍しい門松

(写真はお借りしています)

佐賀県唐津市の豊満神社の大門松。高さ15m!

 

仙台市にある伊達政宗公の霊廟「瑞鳳殿」の門松。松の木の間に竹を渡してしめ縄を飾ってあります。

 

世界遺産熊野本宮館の門松。2本のシイの木を立てて、木の間に渡したしめ縄にユズリハや稲穂、干し柿、橙を吊るしています。

 

旧尾張藩士兼松家の門に立てられていた葦(ヨシ)の門松。名古屋市の東山動植物園の武家屋敷門で見ることができます(時期要確認)。

 

山口県萩市の菊屋家住宅の門松。枝が三段に別れているので「三蓋(さんがい)の松」というそうです。
何て美しい門松でしょう。生で見てみたい。

 

江戸時代の門松。写真は滋賀県の近江商人の旧宅のものですが、深川の江戸資料館でも見ることができます(時期要確認)。

 

 

少し探しただけでも見たこともない門松がたくさん出てきました。
年末年始に遠出される方は、お正月飾りを見るのも楽しみのひとつですね。

 

本年も皆さまにとって素晴らしい年になりますように、お祈り申し上げます。