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何事にも「いい時期」がある。その「ときどき」を楽しむ−千宗屋著「もしも利休があなたを招いたら」

 

先日とても面白い本を読みました。

 

今をときめく武者小路千家15代家元後嗣、「若宗匠」千宗屋氏の著書、
「もしも利休があなたを招いたら」。

2011年に出版された本です。

 

厚くなく、手軽に読める本なのに、ものすごくいいことがたくさん書かれていました。
茶道という一見とっつきにくい、知らない人は足を踏み入れにくい世界を、読みやすい文章でわかりやすく、お点前の作法ではなくてお茶の本質について書かれています。
茶と所縁の深い禅についても随所に小話が盛り込まれていて、とても興味深い。
宗屋さんは、14代家元であるお父様に「お茶とは違う自分の世界を持ちなさい」と言われ、模索した結果に仏教に辿りついたという、なんというか筋金入りです。大徳寺で得度もされていて「利休さんの再来」とも言われているとか。
失礼を承知で書くと、現代でいうところの「マニア」です。お茶と仏像のマニアが、茶道の家元家に生まれるなんて、まさに運命、天命というのはこのことではないでしょうか。

 

千宗屋さんは1975年京都生まれ。
2003年に武者小路千家家元の後嗣号である「宗屋」を襲名し、同年大徳寺にて得度しています。
2019年に結婚され、茶道界もおめでたい雰囲気に包まれました。

(Casa BRUTUS  Twitterより。「夢のネコムーランド」の猫村さんの茶室、行きたかった!)

 

年齢層の高い茶道界において40代の時期家元、というだけでも話題なのに(襲名時は28歳!)、国内外で精力的に活動し、他ジャンルとのコラボレーションやInstagramなどのSNSも人気です。

その活動だけをみていると「斬新」「革新的」と思われますが、「お茶の本質を伝える」という意味ではいたって保守的だと宗屋さんは語っています。

お茶の本質について、一言で言うのは難しいと思いますが、利休さんは「人と違うことをしろ」と弟子にいつも言っていたそうです。
例えば利休さんが茶事をしたときに使っていた丸い茶釜を、あるお弟子さんが同じようなものを探してきて「やっと手に入りました」と利休を招いたら、「私が丸い釜を使ったのならあなたは四角い釜を使いなさい」と諭したとか。
利休さんの弟子の筆頭として古田織部が挙げられるのはまさにそこで、彼は形を真似するのではなく、利休さんの思想は受け継いだまま自分なりの表現をしたからだといいます。

 

それを宗屋さんは体現しているのですね。

 

 

この本の、
「ときどきのお茶を目指して」
という見出しの章が、わたしの中でずっと感じていたことをすっきりと言葉にしてくれていました。なんて書くとおこがましいですけれど。

 

ものには時期というものがあって、簡単な例で言えば桜は春に咲くしお米は秋に採れる。そこで花見は春にするし、秋には収穫祭が行われると言ったような、自然な物事の流れができます。

それと同じように人生にも時期があって、その年齢にふさわしいもの、その年代でないとできないものがあると、宗屋さんは書いています。

 

お茶も、若いときにはなんでもありのように思える時期があります。けれど、二十代や三十代そこそこで、八十歳のベテランがする老成したお茶をやるというのも、おかしなもので、でもそのちぐはぐに本人はけっこう気づかないものなのです。
それぞれの年、それぞれの経験、それぞれの人柄にふさわしいお茶があるのです。ですから、いまの自分にふさわしい「ときどきのお茶」をすることが、実はもっとも自然で、自分も、見ている他人も気持ちがいい。

 

ああ、これこれ、こういうことだったんだなあ。
やってやれないことはないけれど、やっている方も、見ている方も、なんかそわそわして落ち着かない時って、その時の自分には合っていなかったということだったんだ。

 

こういうことを三十代そこそこで言えることも素晴らしいですが、彼の凄いところは、若い人の視点や意見も踏まえつつ、同時に時期家元としての立場からも物事を見ていること。
ご自分の立ち位置をよくわかってらっしゃるんだなあ、と思います。
上の世代と若い世代をつなぐ、彼にしか言えないことがたくさんあると思います。

 

お茶をしている方には「ああなるほど」と今一度自分のお茶を振り返るきっかけに、お茶をしていない方には「えっ?それでいいならやってみたいかも!」と思わせるアイデアもたくさん散りばめられた、いい本でした。

 

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