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泡は三日月というのは本当?薄茶の点て方(表千家の場合)。

 

 

日本の茶道は、茶碗の中身より、その外側のあれこれに敏感で、例えば客の作法についてなら、入り口(躙口)をくぐった後、履物は立て掛けるとか、(中略)茶碗を左に90度回してから口に運ぶとか、動作の度に決まりがある。(中略)茶道具にことさら敏感なのは誰もが知るとおり。

中国茶は茶碗の内側の味と香りを、(中略)日本の茶道は茶碗から茶庭までの外側を求めて発達した。

 

この文章、ちょっとドキッとさせられませんか?

 

「藤森照信の茶室学」という本の一節です。

 

 

建築家であり建築史家でもある藤森氏は、この本の中で現代の茶道界の茶室への関心の薄れを嘆いていますが、個人的には茶碗の中身の方にも気が向いてしまいます。

 

確かにお点前や水屋仕事に比べて、抹茶そのものの種類や詳しい点て方については、お稽古ではほとんどやりません。

 

その一方で、ネットで「抹茶の点て方」を検索してみるとたくさんの動画やブログがあり、中にはお茶屋さんが作った一般向けの動画で、流派が提示されていないものなどもあります。
抹茶は茶道を習っていなくてもたくさんの人に気軽に点てて飲んでほしいので、こういう動画はとっつきやすくていいですよね。

 

 

余談ですが、わたしも最初は家で動画を参考に見よう見まねでお抹茶を点てたりしていましたが、そのきっかけは、
「抹茶とは熱い方がいいのか、ぬるい方がいいのか?」
という疑問からでした。

茶道を始める前は京都のお寺やお店でしか飲んだことのなかった抹茶。

そういうところで出されるお抹茶は、お菓子と一緒に出てくることがほとんどなので、お菓子を食べてお抹茶をいただく頃にはすでにぬるいんですよね。

だからあれがお抹茶だと思っている方も多いかもしれません。
わたしもそう思ってました。

でも調べてみると正解は、「抹茶は熱いお湯で入れるもの」。

それで熱い抹茶が飲みたくて、自分で点てたのが始まりでした。


はじめはスーパーで買える抹茶で十分!
余ったらお菓子作りに使ったり、抹茶ミルクも美味しいです。

 

熱いお抹茶はもちろん美味しいのですが、お茶は熱湯で淹れると渋味の原因であるタンニンが強く出てしまいます。
なので「お抹茶を美味しくいただくため」に、お抹茶の前にお菓子をいただくのですね。

 

さて、家でのなんちゃってお点前でも十分に茶の湯の楽しさは味わえますが、どうせ茶道をしているなら、お点前の所作や点てられた抹茶の美しさにも心を配りたいところ。

 

ちょうどタイムリーに、茶道雑誌の2019年9月号にお茶の点て方についての話が載っていたので、引用しながら表千家流の薄茶の点て方を載せてみたいと思います。

 

 

違う流派の方に「表千家を習っています」と言うと、「表さんは三日月の泡になるように点てるんですよね」とよく言われるので返答に困っていましたが、その答えもまさに茶道雑誌に書いてあったのでご紹介します。

 

点て方だけでなくお抹茶自体の製法や品質などに興味のある方は、こちらの記事も合わせてどうぞ。

参考記事→お茶の種類と製法について

こちらも→薄茶と濃茶の違いは?お茶の銘の由来はどこからきているの?

               →抹茶や煎茶の品質を高め保つ製法「合組」。宇治茶の定義とは?

 

 

薄茶の点て方(表千家の場合)

 

まず薄茶点前の中でお茶を点てる手順は、

となります。

 

茶碗を温めることで熱く美味しいお茶をお客さまに出せるし、茶碗をちゃんと温めると、茶巾で拭いたあとに茶碗が早く乾くので、抹茶を掃く(茶碗に入れる)ときに湿ってダマになるのを防ぎます。

 

お湯を注ぐ時は抹茶の真上だと抹茶が飛び散ってしまうので、横か奥の方から注ぐようにします。

 

<茶筅の扱い>

(以下の引用は全て「茶道雑誌2019年9月号」より)

茶筅はあまり強く振らず軽く大きく扱うのが基本です。その茶筅の扱いが味や香りにも関わるのではないでしょうか。そう考えた時、たしかに「三日月」は程よい泡の量の参考となります。

(中略)

程よい泡となるためには、あまり手首を使わず肘から茶筅を振るのがよいでしょう。

 

茶碗に茶筅を入れる時は真っ直ぐに入れずに少し斜めにして静かに入れ、下に沈んだ抹茶をゆっくり湯と馴染ませます。

 


抹茶と湯をよく馴染ませてから、茶筅を軽く大きく振ってお抹茶を点てていきます。「軽く大きく」というのは「力まずに」ということです。この時茶筅は茶碗の底に触れるか触れないかくらい。茶筅を茶碗の底に押し付けてガシガシ振ると茶筅が痛みます。最悪の場合穂先が折れて、お客さまの口に入ることになるので注意!

 

程よくお茶が点つと、茶筅を時計まわり(「の」の字)に数度まわした後、茶碗手前へ手を返して親指を上にして茶筅をとめ、ゆっくりと茶碗手前から茶筅をぬきます。(中略)
最後には、茶筅を大きく時計まわりにまわすことで、周りに飛び散ったお茶もとれ、美しく仕上がります。丁寧にゆっくりと茶筅をまわせば、中のお茶は茶筅と共に時計まわりにまわり、泡も一つにまとまります。茶筅を茶碗手前でとめれば、お茶が時計まわりにまわっている中で、泡だけが茶筅の穂先に引っかかり、茶筅左側にすーっと泡のない部分が伸びていきます。これが「三日月」の正体ではないでしょうか。

 

単にお抹茶の味ということになれば、よく言われるようにふんわりとした泡がある方が苦味が少なくなるので味がまるくなります。茶筅を振る回数が少ないほどお茶が甘くなるという話もありますが、茶筅を振る回数が極端に少ないと粉っぽい舌触りになり、美味しくない上に飲んだ後に茶碗の底に抹茶が残ります。。

なので「三日月の泡」はお抹茶が粉っぽくならずに、なおかつ茶筅を振りすぎないという意味で「程よい」というのですね。

 

でももしかしたら、それ以外にももっと精神的な意味もあるのかもしれません。

茶の湯は「不完全の美」を追求するものだから、表面を泡で完全に覆ってしまわないようにしたとか、千利休の点前は目立たずさらさらと流れるようだったと言うから、それにならうと時間をかけて泡を細かくたくさん点てるのは違和感があったとか。

逆に裏千家は学校の授業に取り入れる際に、お茶を知らない沢山の学生に、味も美味しく見た目も華やかに楽しんで飲んでもらえるように泡をたてるようになったのではないか、と考えることもできそうです。

いろいろ想像してみると面白いですね。

 

 

さて、茶道雑誌では「三日月の泡」について、こんな風に締めくくっています。

 

「三日月」は基本通り丁寧に茶筅を扱った時に生まれる偶然の形です。「三日月」を目的としてお茶を点てても意味はありません。しかし、丁寧に点てる心掛けを忘れずにいた時、たまたま茶碗の中にぽっかりと浮かぶ月に出会うと、何だかうれしくなりませんか。

 

わたしも三日月の泡に出会えるのを楽しみに、一服一服に心を込めたいと思います。