鏑木清方「遊女」大正7年
日本絵画,  浮世絵,  着物文化

昔の人はどうしてた?浮世絵、日本画から学ぶ、冬の着物の防寒対策。

 

いよいよ年の瀬、冬も深まり寒さも厳しくなってきました。

今年は小春日和の日も多く、紅葉も長く楽しめました。その反面、1日ごとに気温が大きく変わり、体調を崩した方も多いかと思います。

現代ではいろいろな防寒グッズや暖房器具がありますが、今よりも寒かったと言われる江戸〜明治時代に暮らした人々ははどうやって冬の寒さを凌いでいたのでしょうか。

冬はお正月や初釜、お茶会やお出かけなど、着物を着る機会も増えますので、現代の着物の防寒についても紹介したいと思います。

 

 

火鉢や温石、炬燵

室内の暖房器具といえば火鉢。

手を温める程度の小さな丸火鉢から、一人鍋も楽しめる長火鉢まで、様々なタイプのものがありました。

 

脚がかわいい丸火鉢
関係ないけど着物の柄がとてもとても素敵。

鏑木清方「遊女」大正7年(鏑木清方「遊女」)

 

こちらの遊女たちは寒いので懐手。火鉢の前の遊女は懐紙であおいで炭に風を送っています。

喜多川歌麿「青楼十二時 続 虎ノ刻」1794(寛政6年)頃 (喜多川歌麿「青楼十二時 続 虎ノ刻」)

 

長火鉢なら燗をつけたり小鍋を楽しむこともできます。

(歌川国芳「時世粧菊揃(いまようきくぞろい)」)

 

石を温めて布で包んで懐中する温石(おんじゃく)や、灰を燃焼させて容器に入れて使う灰式懐炉も使われていました。

 

温石 

灰式懐炉 (江戸ガイドより)

 

 

お次は炬燵です。

 

昔の炬燵は掘り炬燵か置き炬燵。

●掘り炬燵→囲炉裏に櫓をかけてその上に足を置いて温めるようになったのが始まり
●置き炬燵→持ち運びできる火鉢を櫓の中に入れて布団をかけて暖をとった

江戸では火事が多かったため備え付けの囲炉裏や掘り炬燵は少なかったようです。
炬燵には天板などは乗せずに使っていました。

(歌川豊国「春雨豊夕榮」)


ちなみに、昔の動揺の♪猫は炬燵で丸くなる〜♪のくだりは電気こたつではなく炭を入れた炬燵だというのが有力です。(童謡「雪」は明治44年初出、電気こたつが普及したのは昭和になってから)
猫は、炬燵の中ではなく炬燵の上で丸くなるのだ、とどこかのサイトで見て、なるほど〜!と笑ってしまいました。
たしかに電気こたつの中では、猫はあったかくて伸びて寝てますから。

喜多川歌麿 絵本四季花 下 (喜多川歌麿「絵本四季花 下)」

上のこの絵、すごく好きです。
女性たちが集まってくつろいでいて、中心に炬燵があって猫もいて、右側には丸火鉢。
壁に掛けてある鷺と梅の軸も素敵です。窓の外は雪でしょうか。
冬の正しい過ごし方ですね^^

 

 

とにかく着込む

 

とにかく綿の入った着物を何枚も重ねて、その上に羽織やどてらを着る。
浮世絵に出てくる男女は皆さん、とにかく冬は重ね着しています。
相当重かったと思いますが、背に腹は変えられません。

男性は股引きを履いたり首に手拭いを巻いたりしています。
ちなみに襟巻き(首巻き)もありましたが、巻いているのはご隠居か僧侶、若くても病人だけだったようです。

 (二代歌川国貞「雪景色戯場乗始」)

 

こちらは成田山不動尊と所縁の深い市川團十郎一座の成田山詣での絵。
厚手の股引きに黒足袋、首には手拭いを巻いています。さすが役者さんたち、着物の柄も着こなしもお洒落です。

 (歌川国貞「新板 成田参詣図」)

 

下の絵は料理茶屋の二階の様子。
柱に隠れていますが豪華な丸火鉢が見えます。
女性はみんな襟を搔き合せて首元を隠し、何枚も着物を重ねています。

(喜多川歌麿「深川の雪」部分)

 

女性は着物の襟が抜けているから、うなじが冷えるんですよね。
いくら襟を掻き合わせても風は入るだろうし、男性みたいに襟巻きとかしなかったのかしら?
と思ったら、家の中ではけっこうしていたのかもしれないですね。

台子の夜雨 鈴木春信(鈴木春信「台子の夜雨」)

 

そして外出するときは首だけでなく頭にも巻く!

(三代歌川豊国「江戸名所百人美女 洲崎」)

頭にかぶっているのは御高祖頭巾(おこそずきん)。
縮緬(ちりめん)などの布でつくられています。首には手拭いを巻いていますが、これは首に冷たい空気が入ってこないようにするためと、頭巾が滑り落ちないようにするためです。

(鈴木春信「雪中相合傘」)

頭巾はいろんな種類があり、男女で形や呼び名も違ったようです。

 

それでも裸足!?

 (歌川国貞「神無月 はつ雪のそうか」より)

(歌川国貞「玄徳風雪訪孔明見立」)

 

こんな雪でも裸足かいっ!
そりゃあ雪で着物が濡れる方が後々まで寒いでしょうけど、でもそこまで裾をはだけなくても。
でも上を完全防備していたら、足は裸足でも意外といける、、、のか?
というより、「慣れ」なんでしょうね。
当時は裸足が「粋」とされていたのも、大きな理由のひとつでしょう。

 

歌川豊国「冬の宿 嘉例のすゝはき」

上の絵は、年末も差し迫った12月13日の煤落としの様子を描いたもの。
みんな頭には手拭いを被って羽織を着て、男性は股引きをはいて着物を端折って万全の体制です。

 

現代の着物の防寒は?

 

現代の着物の着方に近いのはやはり明治になってから。
下の絵の女性は羽織にショールをかけています。

水野年方「三井好都のにしき 朝の雪」1904(水野年方「三井好都のにしき」より)

そもそもこんな雪の日に着物を着る方も少ないでしょうから、現代では雪下駄はほとんどみないかもしれませんが。
私も祖母のものを譲り受けて持っていますが、一度も履いたことはありません。

 

(水野年方「三井好都のにしき」より)

お正月や成人式などではファーのショールもよく見かけますね。
着物の裾まで届く長い道行は、防寒はもちろん雨や雪などの悪天候でも活躍します。

 

江戸時代と現代の女性の防寒で大きく違うのは、首元と足元。
まさに1番寒さを感じる場所です。

昔と違い現代の着物は着崩れが許されないので、襟元を掻き合わせたりできませんし、「袷の着物で素足」ということはまずありません。結婚式などフォーマルな場であれば白足袋は必須です。

そして昔と違い「着物に綿を入れる」ことがなくなったので、着物自体は薄いままで冬を越すこと、そして昔ほど何枚も重ね着をしないというのも大きな違いです。
着物が薄くなった=軽くなったということは、風が通りやすくなったとも言えるかもしれません。
その「風の出入り口を塞ぐ」というのが、現代着物の防寒の第一条件です。
首(襟元)、手首(袖)、足元(裾)から入る冷気を遮れば、暖かく過ごせます。

上記のやり方はフォーマルな場やお茶会に行く時も役に立ちます。

お洒落として楽しむなら、靴はブーツにしたり柄の足袋を重ねたり、頭には帽子をかぶるのもいいですね。