国宝の曜変天目茶碗。3碗全て見てきました。
2019年に、3碗全てがほぼ同時期に公開されることで話題になった
国宝の曜変天目(ようへんてんもく)茶碗。
茶道をされない方でもテレビや雑誌で見たことがあるのではないでしょうか。
あと1週間ほどで、全ての曜変天目の公開が終了します。
曜変天目茶碗とは
(国宝 曜変天目茶碗:藤田美術館蔵)
抹茶茶碗の中でも、貴人をもてなす時などに使われる天目茶碗。
通常お点前に使うときは、天目台という茶碗を乗せる台とともに用いられます。
天目茶碗とは、もとは中国から伝わったもので、鎌倉時代に浙江省天目山の禅寺から留学僧が持ち帰ったことが始まりと言われています。
大きさはやや小ぶりで、すっきりとした形と小さい高台が特徴です。
その天目茶碗の中でも最上級と言われるのが、曜変天目茶碗です。曜変天目とも呼ばれます。
曜変天目茶碗は世界に3碗あり、その3碗全てが日本にあり、国宝に指定されています。
「曜変」とは?
曜変とは、もともと釜の中で変化することを表し、「窯変」「容変」の言葉が使われていました。
曜変天目は、黒釉の表面に無数の光の粒(斑紋)が散り、あたかも青雲の中に光の粒が浮かんでいるように見え、粒だけでなくその周りが瑠璃色に輝いているために「星」や「輝く」という意味を表す「曜」の字が用いられるようになったそうです。
窯の中で偶然が重なってできたもので、意図して作れるものではないといわれています。
ちなみに斑紋そのものが輝いているものもあります。
油滴天目(ゆてきてんもく)と呼ばれ、これもまた格の高い天目茶碗です。
(重要文化財 油滴天目茶碗)
どうして日本に?
中国で作られた曜変天目が、なぜ全て日本にあるのでしょうか。
今から800年以上前、曜変天目は南宋時代(1127〜1279)に中国で作られました。
釜の中で突然変異を起こし、出来上がったものがあまりに今までの茶碗と違ったために、当時は不吉の予兆と言われだのだとか。
他にも複数あっただろうとされる曜変天目は、そのためほとんどがすぐに壊され捨てられてしまった、というのが一説です。
不吉とされながらも、そのあまりの美しさにこの茶碗を残したい、と願う人々の手によって室町時代に日本に渡り、日本では素晴らしい唐物として大切に守られてきたのかもしれません。
他の説としては、中国でも最上層の人々に曜変天目が使われていたが、喫茶文化が変化していったため、使われなくなっていったという説もあるそうです。
どちらにしても、日本では素晴らしいものとして長く守られてきた茶碗であることには変わりありません。
実際に見てみて
まさに3碗3様の曜変天目。
わたしは今回ご縁があり、3碗全てをみることができました。
休日や連休を避けたこともあり、どれもそれほど待たずに見ることができました。
個人的に素晴らしかったのは、MIHO MUSEUMでみた、大徳寺龍光院の曜変天目です。
龍光院は大徳寺の塔頭のひとつですが普段は非公開のため、この茶碗自体を見る機会も他のふたつより少ないのです。
一見すると他の曜変天目より暗い感じなのですが、見ていると深いところに引き込まれるような美しさで、写真で見るのと実物を見るのは全く違うものでした。
静嘉堂文庫の稲葉天目は3碗のなかでもっとも斑紋がはっきりとしていて、長い間使われずに保管されていたため状態もすごくいいです。
斑紋も鮮やかで大きく、見込みだけでなく胴の部分にもたくさん表れています。
全体的に華やかでわかりやすい。
照明技術が発達していない時代の暗い室内でも、はっきりと斑紋がわかったと思います。
驚いたのは、窓際にショーケースが置いてあり、自然光で観察できること。
専用のスペースや照明を設けてあった他の2碗とは大きく違いました。
藤田美術館の曜変天目は、印象としては1番バランスのとれた美しさでした。
稲葉天目のような派手さはないけれど、龍光院のものよりも明るい印象で表現豊かな色彩が、まさに「茶碗の中の宇宙」でした。
例えるなら、アニメ「天空の城ラピュタ」に出てくる、洞窟の中の飛行石を思わせるような。。。
(余談ですが、静嘉堂文庫で同時に開催されていた備前刀の展示も素晴らしかったです。
それについてはまた後日紹介したいと思います。)
それぞれに美しく、茶人だけでなくたくさんの人を魅了する曜変天目茶碗。
次にまたお目にかかれるのを楽しみに待ちたいと思います。