二十四節気と五節供、雑節
春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 涼しかりけり
という道元禅師の有名な歌があります。
季節ごとの美しいものを詠んだ歌です。
日本の伝統的な慣習や風習は平安時代の宮中に起源を見るものが多いですが、それらの多くは古代中国から伝わってきたものです。
お茶も禅も、もともとは中国から伝わったもの。それを日本人が日本文化として昇華させたと言ってもいいのではないかと思います。
1番上のアイキャッチ画像は、数年前に伺った大寄せ茶会での、桃の節句のしつらえ。桃の花にひし餅、貝合わせの遊具など、ひと目見てうわー!と心が華やいだお席でした。
暦も中国から伝わったものですが、それにプラスして、日本の風土に合わせて独自の指標を作ったり、日本ならではの風習が生まれました。
その一部を見てみたいと思います。
二十四節気、七十二候とは?
にじゅうしせっき、しちじゅうにこう。
「暦(こよみ)の上では、もう春です。」
という台詞を聞くことがあると思いますが、この「暦の上では春」というのがまさに二十四節気の「立春」を指します。
二十四節気というと耳慣れないかもしれませんが、立春や春分、冬至というとお馴染みですね。
1年を春夏秋冬の4つに分け、さらにそれを6等分にして、1年を約15日ごとに24等分にしたものを「二十四節気」と呼びます。
そして二十四節気を更に5日ごとに3分割したのが七十二候です。
雑節は日本独自のもの
二十四節気や五節供(五節句)はもともと中国から伝わったものなので、日本の実際の季節とは多少のズレが生じます。
そこで二十四節気の補助的なものとして、日本の気候風土を適確に表すために「日本の節気」雑節が作られました。
土用以外だと、節分、彼岸、八十八夜、入梅、半夏生、などが雑節にあたります。
下の図の四角で囲まれている文字が雑節です。(タップすると拡大します)
(つきのこよみよりお借りしました。天体や天球など詳しく知りたい方にもオススメのサイトです)
二十四節気と雑節はどちらも太陽暦をもとにしているので、ずれることはほとんどありません。
五節句・五節供は江戸時代の公式行事
節句は、もともと節供という字が使われていました。
供というのは供するもの、つまり人々が共に集って飲食をすることや、その飲食物自体をさす漢字です。季節の変わりめの節日(せちにち)に、お祝いをするという意味で室町時代以前から使われていたそうです。
五節句(五節供)は、年に何回かある節句の中でも特に重要視され、江戸幕府が「式日(しきじつ)」と定め、公武行事として行われました。
式日とは儀式や神祭を執り行う日、という意味です。
もともとは五節供の字があてられていましたが、いつの頃からか、五節句という字が一般的になったようです。
五節句とは人日(じんじつ、正月7日)、上巳(じょうし、3月3日)、端午(たんご、5月5日)、七夕(しちせき、たなばた、7月7日)、重陽(ちょうよう、9月9日)の5日です。
明治に入って旧暦から新暦に変わり、「式日」は廃止されましたが、一般に広まった風習は残り、現在に至っています。
「節供」の字は使われなくなりましたが、今でも五節句は、人が集って厄や邪を祓ったり、特別な食物を一緒に食べて健康を祝う大切な行事です。
(「江戸砂子年中行事 端午之図」1885年 楊州周延(ちかのぶ))
鯉のぼりは武家社会ではなく、江戸時代の町民文化から生まれたそうです。
鯉が多色なのはオリンピックカラーが由来だという説もあるそうですよ。