暦と三鏡宝珠

 

暦の記事をあげ始めたら、当たり前だけど芋づる式にいろんなことが繋がっていき、どこまでいくのかちょっと心配になってきました。

 

前回の記事で三島茶碗を取り上げましたが、三島茶碗は三島暦の仮名文字に似た美しい文様が特徴のため、三島手(みしまで)、または暦手(こよみで)茶碗とも言われます。
それで、他にも「暦手茶碗」で検索してみると、三島ではない茶碗も出てくるのです。

 

三島じゃない暦手茶碗、元祖はこれかな?

金沢大学埋蔵文化財調査センターより)

いつのものか時代の表記はありませんでしたが、よーく見ると干支の上に漢字が書いてあります。
例えば正面は「寅」。その上に「十」「小」と書いてあります。これは、この年の10月が小の月(29日の月)ということを表しているのかなと思います。寅は、朔日(ついたち)の干支か、吉方位かな。その両側がすでに読めないので何とも言えませんが。。。

 


その他にも、昭和や平成、令和のものまでありましたよ。面白い〜!

 

 

参考記事→江戸時代、大小といえば刀だけじゃなかった。浮世絵に隠された洒落の世界!

 

もともと暦は、太陽太陰暦(旧暦)で使われていたものなので、新暦の暦手茶碗というと何だか違和感も感じます。でも、太陽暦になった明治4年以降にもしばらくは暦が作られていたし、現在も旧暦を記した手帳などは人気だし、三島暦は現在も毎年販売されています。

それに何より、月の周期とともに自然や季節を感じながら生きていた時代から茶の湯はあったので、忙しい現代でもお茶を飲むときにはほっと一息、昔に想いを馳せてみては。。。という意図があるのかもしれません。

何にしても面白いですね。自分の生まれ年の物なんて頂いたら嬉しいかも。
人前では使いにくいですけれど 笑

 

 

暦にあるマーク、三鏡宝珠

 

この暦手茶碗、いろいろ見ていたら、どの茶碗にも似たような模様があります。

(写真はお借りしました)

 

 

これ、形に多少の違いはありますが、宝珠(ほうじゅ)と言います。
この記事の最初のお寺の写真の屋根の上にもちょこんと乗っています。

 

宝珠は仏教から伝わった物で、サンスクリット語で「チンターマニ(チンターは思考、マニは宝石という意味)」と言います。如意宝珠(にょいほうじゅ)とも呼ばれ、意のままに、ありとあらゆる宝を降らせ、病気を癒し、願いを叶えることのできる珠と言われています。

 

ちなみに三条大橋の欄干や、お寺の階段の手すりとかにあるのは擬宝珠(ぎぼし)と言って、宝珠を模した形からその名前が付いたと言われます。

 

もうひとつ余談ですが、ファイナルファンタジーなどのゲームで出てくる「オーブ(orb)」も宝珠を意味しますが、厳密にはオーブは西洋の宝珠のことで、キリスト教の権威の象徴でもあります。

 

 

そして上のイラストの左側の如意宝珠が3つ、炎の中に描かれているようなものを三鏡宝珠(さんきょうほうじゅ)、または三鏡宝珠形と言います。

 

この三鏡宝珠、これが描かれていれば暦だと分かるくらい重要なものなのです。

例えば、いろいろな地方暦を例に挙げてみます。
写真は国立天文台のサイトよりお借りしました。)

 

〈三島暦〉

 

〈南都暦〉

 

〈会津暦〉

 

どの暦にも三鏡宝珠が描かれています。

 

「大雑書(おおざっしょ)」という、暦と占いの総合辞典のような書物があるのですが、そこに三鏡宝珠についての記述があります。
(写真は国立国会図書館よりお借りしました。)

 

宝珠が3つあるのは、日月星の三光と、天地人の三才を表しています。
中央が天皇玉女、右は色星玉女、左が多願玉女と呼ばれます。

(大雑書には、三鏡宝珠を如意宝珠とも言う、と書かれているので厳密な線引きはあまりないのかもしれません。)

 

大雑書の三鏡宝珠のイラストの左に「一ヶ月ごとに所座をかへる事左の如し」と書いてあり、イラスト左側にそれぞれの方位が二十四方位で書かれています。

 

現代とは読み方が違うものもありますが、大雑書の通りに抜粋してみました。
(読み間違いがあったらすみません。)
旧暦なので、月も現在のグレゴリオ暦とは差異があります。

 

多願玉女
(旅行)
天皇玉女
(全般)
色星玉女
(服飾)
正月(1月)
(いぬい・北西)

(うたつ・東南東)

(とりいぬ・西北西)
2月
(さるとり・西南西)

(とらう・東北東)

(みうま・南南東)
3月
(うまひつじ・南南西)

(うたつ・東南東)

(みうま・南南東)
4月
(いぬい・北西)

(うまひつじ・南南西)

(ねうし・北北東)
5月
(さるとり・西南西)

(とらう・東北東)

(みうま・南南東)
6月
(うまひつじ・南南西)

(とらう・東北東)

(うたつ・東南東)
7月
(うしとら・北東)

(ひつじさる・南西)

(たつみ・南東)
8月
(たつみ・南東)

(いね・北北西)

(いぬい・北西)
9月
(ねうし・北北東)

(とりいぬ・西北西)

(いね・北北西)
10月
(うしとら・北東)

(ひつじさる・南西)

(たつみ・南東)
11月
(いぬい・北西)

(いね・北北西)

(ひつじさる・南西)
12月
(ねうし・北北東)

(さるとり・西南西)

(とりいぬ・西北西)

 

天皇や将軍に献上するような正式な暦には、きっとこの吉方位も毎年一緒に書かれていたのではないかと思いますが、民間に出回った印刷のものには三鏡宝珠しか描かれていないものも多いです。上にあげた三島暦、南都暦、会津暦も三鏡宝珠形だけで方位は書かれていません。

三鏡宝珠形だけが暦のシンボルマークとして残ったのは、暦には他にも方位神と呼ばれる神様がたくさんいて、方位神の方位は毎年変わるものが多いので、書ききれなくなったということもあるのかもしれません。

 

さいごに

昔の暦をつくっていたのは、天文や占いを司っていた陰陽寮。

天候と農業は密な関係にあり、農民は暦を頼りに農作業のプランをたてました。
暦には吉方位だけでなく凶方位や忌み日もたくさん書かれていたので、もちろんそれに沿って作業日を決めていたはずです。

自然と神が結びついていた時代、陰陽師が絶大な力を持っていたことに何の異論もありませんが、日本人の占い好き、縁起を担ぐのが好きなのはここからかしら。と思うと、なんだか面白いですね。笑