美味しいお茶探し〜狭山編
ご無沙汰の更新です。
ブログ名を「お茶と猫」にすれば良かったと思うほど、お茶のことばっかりだな、と思うのですが、今回もお茶の投稿です。
実はわたしの実家は埼玉で、わたしも現在は埼玉に住んでいます。
なので狭山茶は、まあ身近な存在。
茶道をやっているし京都にも住んでいたのでお茶と言えば宇治!みたいな時もありましたが、京都にいざ住んでみると、京都より奈良の酒とか、八女の抹茶が気になる。
隣の芝は青く見える、の典型タイプのようです。。。
でも今回はお茶友のお誘いで、地元埼玉の狭山茶に触れる機会をいただいたので、嬉々として行ってまいりました。
狭山茶って、地元だけど、地元ゆえに特別にフォーカスする存在でもなかった、というのが正直な所でしたが、実際に触れてみるととても面白い世界でした。
狭山茶は狭山で作られているわけではない
宇治茶もそうですが、狭山茶も「埼玉県狭山市」だけで生産されているわけではありません。
狭山茶というのはもともと「河越茶」や「慈光茶」など、当時の武蔵国内の有力寺院で生産されたとされる茶から始まり、室町時代には京都や奈良の茶園に次ぐ地方茶産地、銘園のひとつに数えられていたそうです。
武蔵国って広い!明治の廃藩置県で埼玉、東京、神奈川の3つに分かれたそうです。
「河越茶」は南北朝時代から河越領内で生産されていたお茶で、茶産地としては北限に近い場所に位置していました。まさに狭山茶のルーツですね。
当時は煎茶ではなく茶葉を粉にして湯に混ぜて飲む「抹茶」で、河越抹茶は関東唯一の茶として愛されていたそうです。
戦国時代に寺院の衰退と共に河越茶も姿を消しましたが、現在は地域復興の尽力のもと復活し、旧河越領内の茶園で栽培されたお茶は「河越茶」として購入することができます。
以前そうと知らずにティーバッグの河越茶を購入したことがありましたが、買って帰って飲んでみたら美味しくてびっくりしたのを思い出しました。パッケージも可愛くて、職場にお土産に持って行ったら喜ばれた記憶があります。
「慈光茶」も、埼玉県ときがわ町の慈光寺でチャノキが残存しているのが発見され、お茶摘みイベントなどが催されているようです。(ちょうど今年2022年にイベントがあったようで、知っていたら参加したかった〜!!)慈光茶も早くまた飲めるようになるといいなと思います。
最近アツい烏龍茶市場!?
今回お誘いを受けた友人は台湾茶の茶藝師(台湾茶の資格のようなもの)を持っていて、台湾と日本のお茶を研究しています。
なので、今回の来埼?にあたり、烏龍茶を作っている茶農家さんに絞ってアポを取っていたそう。
最近は烏龍茶を作るお茶屋さんも増えてきているようですが、まだまだマイノリティーな市場なので、話を聞く人聞く人がその世界のパイオニアのような方だったりして、すごく勉強になると言っていました。
確かに和紅茶とかは聞くけど、、和烏龍って、彼女に聞かなかったら今までそんなにピンと来なかったなあ。。。
日本では伝統的に烏龍茶作りはされていなかったので、烏龍茶を作るために台湾に修行にいく茶農家さんが多いそうです。
台湾茶は大好きだけど、台湾茶だから好きなのであって、同じようなものが身近にあっても買うかなあ?
と最初は思いましたが、そもそも台湾茶の何が好きなのか?と考えるいいきっかけにもなり、最終的には美味しいものならなんでもいいんだ!という大雑把な結論に至りました。笑
今回お話を聞かせていただいた方の1人は、入間にある比留間園さん。
パリ日本茶コンクールで、いろんな部門で何年も受賞されているお茶屋さんです。
(こちらの「かろやか」は2020年パリ日本茶コンクール金賞受賞。日本酒のチェーサーになんて、贅沢なことしてみました。お互いを引き立てあってものすごく良かった・・・!)
萎凋(いちょう)と発酵
突然ですが、萎凋(いちょう)、ってご存じですか?
わたしは初めて聞いた言葉でしたが、iPhoneで変換するとちゃんと漢字が出てきます。
萎凋というのは茶葉を摘んでから置いておくと、葉っぱが萎れて酸化(発酵)し、独特の風味を生み出すというもの。
度合いが深まるにつれて花の香り→果実の香り→熟した果実→蜜香、と香りが変化していくそうです。
ちょっと逸れますが、比留間さんがお話しされた中で印象的だったのが、萎凋香(いちょうか)の変化のはなし。
チャノキ(というかもしかしたら多年草全般)は、本来花を咲かせなくてもいい植物なのではないか。
ストレスを与えられたり、植物が生存の危機を感じると、葉が花に変化して結実し種を残す。
だから本来チャノキの葉は花になる要素を持っているのではないか。
そう考えると、葉が萎れて出てくる萎凋香が花から果実、熟して密香になるというのは全然不思議なことじゃない。
そんなお話をされていて、聞いていたら何だかジーンとしてしまいました。
自然の摂理ってなんてシンプルで合理的なんだろう。
この方が本気で作るお茶なんて美味しいに決まってるなあ。
話は戻って、萎凋と発酵、似て非なるものというかほぼ同義なのですが、茶葉に傷をつけて酸化を促すのが発酵、何もせずに安置して太陽光などで酸化を促すのが萎凋、と言われたりもします。
茶葉を酸化発酵させるという意味では同じ。
でもこの萎凋、品評会などでは減点の対象になったりと、厳しい扱いを受けてきたそうです。
萎凋香といっても香りの幅が大きいので、例えばちょっと生臭いような香りになったりして、それが萎凋香と判断されたりすることがあったりしたとか。
農産物なので年ごとに出来栄えが違うのは当然ですが、製品としてクオリティを保たなければならないし、本当に大変な世界だと思います。
(3が軽発酵茶、11が重発酵茶。どちらもすごく美味しかったです!)
さいごに
比留間さんは手もみ茶も煎茶ももちろん作られていますし、そちらでも何度も賞を取られています。
正統を極めないとマイナーなことをしても認めてもらえないから、と仰っていました。凄すぎます。。
烏龍茶用の生産ラインもお持ちで、機械も見せていただきました。
比留間園では烏龍茶だけでなく、密香ほうじ茶という新たな分野のお茶も作られていて、どうしてこのクオリティを保って毎年作れるのかと伺ったところ、狭山は宇治や静岡のように大きくないから、個人で機会を持っている茶農家も多いので、自分で作りたいものを作れる環境にあるというのも大きいと仰っていました。
宇治や静岡だと個人で全部作るのではなく、収穫した茶葉を一箇所に集めて製茶したりもするので、そういう環境だとたぶんここまではできなかっただろう、と。
確かにそれだと個人の機械を持つ必要はないし、生産量も上がるし、合組などもしやすいのかなあ。
でもどちらがいい悪いではなく、宇治や静岡は長年の伝統やブランドがあるし、それはもうそれで凄いことなので、これからも是非守っていってほしいと思う、とも仰っていました。
昔の歌、「色は静岡 香りは宇治よ 味は狭山でとどめさす」は、もしかしたら今は「香りは狭山」なのかもなあ、なんて感じたお茶旅でした。